東京地方裁判所 平成7年(刑わ)515号 判決 1999年3月05日
主文
一 被告人Aを懲役二年六月に処する。
同被告人に対し、未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。
同被告人から金七五〇〇万円を追徴する。
二 被告人Bを懲役二年六月に処する。
同被告人に対し、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
同被告人から金七五〇〇万円を追徴する。
三 訴訟費用中、別紙一記載の各証人に支給した分は被告人Aの負担とし、別紙二記載の各証人に支給した分は被告人Bの負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人Aは、茨城県北茨城市長として、同市職員を指揮監督し、同市内におけるゴルフ場開発事業計画に関し、事業者から提出される茨城県知事宛ての事前協議申出書を受け付け、これに意見を付して同県知事に進達するなど同市の事務全般を掌理する職務に従事していた者であり、被告人Bは、被告人Aが北茨城市長選挙に立候補した際にその選挙運動を支援するなどしていた者であるが、
被告人両名は、共謀の上、
一 平成二年一二月二五日、茨城県高萩市《番地略》所在の被告人B方において、同県北茨城市内でのゴルフ場建設等を計画していた雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社代表取締役C及び同Dから、暴力団甲野会乙山一家丙川会会長のEらを介して、同会社が北茨城市に提出する茨城県知事宛ての雨情の里ゴルフ倶楽部開発事業にかかる事前協議申出書の受付及び同申出書に添付する調整意見書の作成並びに同申出書の茨城県知事への進達等について、便宜有利な取り計らいを受けたい趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金五〇〇〇万円の供与を受け、
二 平成三年二月一二日、同県日立市《番地略》所在のE方において、前記C及びDから、前記Eらを介して、前同趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金一億円の供与を受け、
もって、被告人Aの前記職務に関して賄賂を収受したものである。
(証拠の標目)《略》
(補足説明)
公判供述、公判調書中の供述部分及び証人尋問調書を併せて「公判供述」といい、謄本、抄本である旨の表示は省略し、人証が双方申請の場合は検察官請求番号で特定する。
第一 争点の概要
一 被告人Aの弁護人は、被告人Aは、被告人Bとの間で収賄について共謀したことはなく、金員も受け取っていない、Cらに対し便宜有利な取り計らいもしていないなどとして、被告人Aは無罪である旨主張し、被告人Aもこれに沿う供述をする。
また、被告人Bの弁護人は、被告人Bは、被告人Aとの間で収賄について共謀したことはない、被告人BがEから二回にわたり合計一億円の金員を受領した事実はあるが、被告人Aの職務との間の対価性はない、被告人Bは、Eから預かった金員を被告人Aのために保管、領得する意思を欠いていた、被告人Aは、被告人Bが被告人Aのために金員を受領したという主観的認識を欠いていた、したがって右金員の受領は被告人Aに対する関係での賄賂収受を帰結するものではないなどとして、被告人Bは無罪である旨主張し、被告人Bもこれに沿う供述をする。
二 当裁判所は、被告人両名が共謀して判示犯行に及んだことは優に認めることができると判断した。以下、その理由について説明する。
第二 犯行に至る経緯
一 被告人Aの北茨城市長当選と被告人両名の関係
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人Aは、昭和四〇年三月に大学を中退した後、父Fが経営していた有限会社丁原製材所に勤務し、昭和四六年ころ右会社の代表取締役に就任したが、業績が思わしくなくなり、昭和四八、九年ころ右会社は解散となった。被告人Aの父は昭和三九年から茨城県北茨城市長であったが、昭和四九年四月在職中に死亡した。被告人Aは、昭和五〇年一月に父が昭和四五年ころ設立した株式会社茨城県戊田自動車学校(以下「県戊田自動車学校」という。)の専務取締役に就任し、昭和五六年六月ころ右会社の代表取締役に就任した。また、被告人Aは、昭和五四年九月ころ株式会社甲田自動車学校(以下「甲田自動車学校」という。)を設立して代表取締役となり、その後更に株式会社乙野自動車学校の代表取締役にも就任した。
被告人Aは、昭和五六年三月、北茨城市議会議員選挙に立候補して当選し、同市議会議員となり、また、昭和六〇年三月ころ同選挙に再度立候補して当選した。そして、昭和六一年一二月、北茨城市長選挙に立候補したが、Gに破れて落選した。
被告人Aは、平成二年一一月一八日施行の北茨城市長選挙に再び立候補したが、その際、対立候補のGがゴルフ場開発を進めていたのに対し、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として選挙戦を戦うこととした。同選挙において、被告人Aは、現職のG市長を破って初当選し、同年一二月一四日、北茨城市長に就任した。
2 被告人Bは、茨城県高萩市において、農業及び牧畜業を営むかたわら、社会問題に関してビラを配布したり選挙運動に関与したりしていた。被告人Aは、昭和五四年ころ、甲田自動車学校を開校するに当たり、その用地を借り受けたが、その際、農地転用の手続が必要であったことから、同用地の所有者から被告人Bを紹介され、同被告人から農業委員会委員の紹介を受けた。その後、被告人両名は親交を深め、被告人Bは、県戊田自動車学校が昭和六二年ころ茨城県多賀郡十王町の土地(以下「十王町の土地」という。)を購入する際に、その仲介をするなどした。また、昭和五六年三月及び昭和六〇年三月の北茨城市議会議員選挙や平成二年一一月の北茨城市長選挙に被告人Aが立候補した際には、同被告人を支援するなどした。
被告人Bは、平成二年一一月の北茨城市長選挙に際し、北茨城市周辺を地盤にしていた暴力団甲野会乙山一家丙山組がG市長を応援していたことから、対立候補である被告人Aの選挙運動が妨害されるのではないかと懸念し、旧知の同乙山一家のEに、丙山組が被告人Aの選挙運動を妨害しないように依頼し、Eはこれを受け、被告人Aを支援するなどした。
二 雨情の里ゴルフ倶楽部開発の経緯
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
1 本件当時、茨城県におけるゴルフ場開発許可の手続については、「茨城県県土利用の調整に関する基本要綱」「ゴルフ場に係る土地開発事業の取扱方針」に規定されていた。それによると、まず、ゴルフ場開発業者がゴルフ場開発予定地の市町村長に事前協議準備書を提出して内協議を行い、市町村長が認めればこれを選定し、その後、ゴルフ場開発業者は、市町村を経由して県知事に対し事前協議申出書を提出することとなるが、これが受理されるためには、市町村長の積極的な同意を得ていること、開発予定地の土地所有者及び総面積のそれぞれについて九〇パーセント以上の同意を得ていることが必要であった。このため、同県内にある北茨城市長は、事前協議申出書を受け付け、市長の意見を調整意見と呼ばれる書面に作成して添付の上、右事前協議申出書を茨城県知事に進達する職務権限を有していた。
2 雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社は、Hらが代表取締役を務め、茨城県北茨城市内において雨情の里ゴルフ倶楽部の開発に着手し、Iが開発予定地の地権者の同意のとりまとめをするなどして、既に平成元年四月二六日付けで北茨城市長から選定を受けていた。
3 ところが、Hの資金が続かなくなったことから、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社は売却されることとなった。
サンユー不動産株式会社、日真不動産株式会社等の代表取締役であったDは、知人を通じてこの話を聞いた。また、宅地造成などのほかゴルフ場開発事業を行っていた太東興産株式会社(以下「太東興産」という。)の営業第二部長のJも、知人を通じてこの話を知り、同社代表取締役のCに報告した。
CはDと会い、Dから、雨情の里ゴルフ倶楽部については地権者からの開発同意が七ないし八割に達していること、当時の北茨城市長であるGの側近のIが雨情の里ゴルフ倶楽部の開発に深く関与しており、市長から積極的同意を取り付けると保証していることなどを聞き、Iと会って右事情を確かめた上、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社を一〇〇億円で買い取ることとした。
そこで、Cは、D、Iらとの間で、平成二年一月一八日、Dが雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社の全株式を二二億円で買い取った上、太東興産にこれを三〇億円で譲渡すること、太東興産は開発諸経費として七〇億円を支出すること、Hらは用地の買収、地権者からの開発同意の取り付けや開発に関する許認可の取得に責任をもつこと、Dが雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社の代表取締役に就任し、その業務執行については太東興産の承認のもとに行うことなどを内容とする協定を結んだ。
三 現金供与に至る経緯
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
1 Cは、ゴルフ場開発事業に関与した経験から、同事業を成功させるためには、地元の市町村長を抱き込んでおくことが重要と考えていたところ、Dから、平成二年一一月の北茨城市長選挙では、ゴルフ場開発に賛成する現職のG市長とこれに反対する被告人Aとの一騎討ちとなる様相であるとの報告を受けた。
そこで、Cは、Dに対し、Gが落選した場合に備えて被告人Aと接触する機会をもつよう指示した。Dは、被告人Aと親しい関係にあるK及び同人の兄Lのつてで、平成二年七月中旬ころ、茨城県日立市内の割烹料理店「網元」において、自分のほか、J、K、L、被告人Aらで会談する機会を設け、被告人Aの紹介を受けた。被告人Aは、その際、「あなたたちはGが勝つと思っているだろうが、私が絶対に勝つ。ゴルフ場はせいぜい必要なのは一、二場くらいだ。」などと発言した。また、Lは、「保険を掛けておいた方がいい。」などと言って選挙資金の援助を要求した。そこで、Dは、Cの了解を得た上で、同月二三日に、「現地対策費」の名目で、L側から指定された茨城県信用組合日立支店のM子名義口座に、指定された額である三〇〇〇万円を振り込んだ。これに対し、Lは、同月二六日付けの「雨情の里ゴルフ倶楽部の事業には地域発展のための協力をする」旨の念書を交付した。
他方、Cらは、同月二六日に、銀座の万安楼でG市長らと会い、雨情の里ゴルフ倶楽部についての開発許可の取り付けに便宜を図ることを依頼すると共に現金一〇〇〇万円を贈った。
なお、前記「網元」における会談の様子について、被告人Aは、「席の雰囲気がよくなかったので出された料理にも手を出さず、四、五分くらいで席を立って帰った。その席でどのような話が出たか覚えていない。」、「当時、雨情の里ゴルフ倶楽部がGに資金提供しているという噂があったので、強い義憤に駆られ、資金源や人脈を断つなど公平な選挙ができるようにするため、選挙は自分が勝つ、ゴルフ場は絶対に認めないと言うために行った。」旨供述し、Lも、当公判廷において、「被告人Aは、ゴルフ場は反対だと言って、二〇分いたかいないかで、食事をせずに、おもしろくなさそうな顔をして帰ってしまった。」旨これに沿う供述をする。しかしながら、前記認定に沿う証人J、同Dの各公判供述は、それ自体、詳細かつ具体的であって、相互に矛盾なく一致している上、その後、DがLの話に応じて、前記のとおり三〇〇〇万円を振込送金した客観的事実とも符合しており、信用できるものである。これらの供述と対比して、被告人Aの供述は、信用性に欠けるものといわざるを得ず、また、Lの公判供述は、念書に自分の実印を押していないとしたり、検察官調書の署名押印を自分のものでないとするなど、関係証拠によって認められる客観的事実と齟齬した内容となっており、また、被告人Aも自認しているところの「今度の選挙は自分が絶対に勝つ」と同被告人が発言した事実さえも、そういうことは言っていないと思うとするなど、被告人Aを庇い、あるいは自己が太東興産側から三〇〇〇万円の提供を受けた事実を隠蔽するための作為的な供述をしている様子が認められ、到底信用することができない。
2 前記のとおり、平成二年一一月一八日施行の北茨城市長選挙において被告人Aが当選したため、雨情の里ゴルフ倶楽部は、開発許可の取り付けについて、その方針に重大な変更を迫られた。まず、Dは、平成二年一二月七日、Gの任期中に駆け込みで雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書を提出した。ところが、そのころ、開発同意を撤回する地権者が現れたため、地権者の同意が九〇パーセントを割る事態となり、また、地権者が死亡している場合、法定相続人を明らかにし、その全員から同意書を取得する必要があったが、法定相続人の確定、その所在調査、同意書の取得に時間が必要で、迅速に手続を進めることが困難であった。そのため、Dが提出した事前協議申出書は、早晩書類不備の理由で返却されることが予想される状況にあった。こうした状況を踏まえ、Cは、北茨城市長となった被告人Aを抱き込まざるを得ないこととなった。
3 そこで、まず、Dは、先に三〇〇〇万円を提出したLに対し、被告人Aへの働きかけを依頼したが、Lは「あれは挨拶料程度だ。」などと言ってあてにならないような感じだったため、他に被告人Aに影響力のある者を見つけ出し、その者を介して被告人Aに働きかける必要があると考えた。
4 Dは、平成二年一二月初旬ころ、落選したGに慰労金として一〇〇万円を持参し、善後策を相談したところ、Gから、被告人Aは暴力団甲野会乙山一家(以下「乙山一家」という。)のEと深い関係にあるから、Eに頼んでみるのが一番よいのではないかとの示唆を受けた。
なお、乙山一家は、茨城県日立市に本拠をおいており、総長がN、総長代行がOであり、Eは同一家丙川会会長であった。
5 Dは、市長であったGから示唆を受けたこと、乙山一家は暴力団としては非常に仁義に厚いとの地元の評判があることなどから、乙山一家を通じて被告人Aに働きかけようと考えた。そこで、Dは、銀河株式会社(以下「銀河」という。)の知人Pが乙山一家傘下の丁川会会長代行のQと知り合いであることから、まずPにQを紹介してくれるよう依頼した。これを受けて、平成二年一二月初旬、Pは、Qに「幾ら金を積めばゴルフ場ができるように市長を動かすことができるか。」と尋ねた。Qがこの話をEに伝えたところ、Eは、「話ができるかどうか分からないが、市長側に聞いてみる。」と言い、同月中旬ころ、Qに対し、「市長に協力してもらえそうだ。」との感触を伝えるとともに、太東興産が資金のある会社かどうか詰めて聞いてみるように指示した。
こうして、DとQは、同月中旬ころ、銀河事務所で会い、DからQに対し、「雨情の里ゴルフ倶楽部に既に三〇億円くらい使っている。このままではゴルフ場ができない。何とか市長に働きかけることができないか。できるならそれ相当の謝礼金を出す。」などと、被告人Aへの働きかけを依頼した。Qがその話をEに伝えたところ、Eは、「それでは市長と会って話を詰めてみる。」旨答えた。その後、Eは、Qに対し、金額は市長の謝礼として二億円、仲介料として二億円とするが、太東興産側がこの条件を了解できるかどうか聞くように指示した。
6 同月二二、三日ころ、銀河事務所において、Qは、Dに対し、「市長への謝礼金を含めて四億円でどうか。」と提案した。これをDがC及びJに報告したところ、Cは、乙山一家について調べた上で了承し、Jを通じてDに対し、その線で話を進めるようにと伝えた。DはこれをQに伝え、Qがこの旨をEに伝えたところ、Eは、「それでは、市長側の人間を連れて行くから、太東興産側と会おう。」と言った。
7 平成二年一二月下旬ころ、Dは、茨城県日立市内のホテル「天地閣」一階ロビーの喫茶室で、E、Q、被告人Bと会い、Eから被告人Bについて、被告人Aの窓口になる者であること、被告人Aと刎頚の友であること、被告人Aは被告人Bの意見を積極的に聞くことなどを告げられるなどしてその紹介を受け、その場で被告人Bに対し、被告人Aに対する働きかけを依頼した。これに対し、被告人Bは、「私がしっかり市長に密接に相談して取り仕切って行くから安心しなさい。」などと言った。
第三 現金の供与状況
一 第一回目の現金の要求及び供与状況
1 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) Qは、Eから、「とりあえず手付金として一億円が必要だから、Dに言って出してもらってくれ。」との指示を受け、この旨をPに伝えた。Pは、平成二年一二月二二、三日ころ、銀河事務所で、Dに対し、Qから手付金として一億円を支払ってもらいたいとの話があった旨伝えた。
(二) Dは、平成二年一二月二五日、東京都民銀行神田支店のD名義の預金口座から現金一億円を下ろし、これを手提げ紙袋に入れてPと共に車でQとの待ち合わせ場所である茨城県日立市内の喫茶店「こうひいやろう」に赴き、Qに交付した。
(三) この後、Qは、乙山一家丙川会事務所にいたEに電話をして、現金を受領した旨報告し、その指示に従って、同会事務所近くのガソリンスタンド吉田石油の裏において、同会組員のRが運転する車に乗ってやってきたEに現金の入った前記紙袋を交付した。
(四) Eは、R運転の車でいったん自宅に戻り、前記一億円のうちの五〇〇〇万円をアタッシュケースに入れて持ち、R運転の車で被告人B宅に赴き、被告人Bに対し、右五〇〇〇万円を交付した。
(五) Dは、平成三年一月ころ、茨城県高萩市の被告人B宅を訪ね、一億円が被告人Bに届いているか確認したところ、被告人Bは、「大丈夫だよ、市長の方はちゃんとしてあるよ。」と言った。また、その際、被告人Bは、「Aと俺は大ポン友だ。俺は、Aの選挙を応援しているし、貸しはあるから、大丈夫だ。」などと言った。これを聞いて、Dは、一億円の全部ではなくともその一部は被告人Aに渡っていると感じた。
さらに、Dは、Cに被告人Bを会わせておこうと考え、平成三年一月下旬ころ、常磐自動車道水戸インターチェンジ付近のレストランで、C、Jに被告人Bを紹介した。その際、被告人Bは、Cに対し、被告人Aとは仲のよい友達であり、選挙の際には資金援助もした、だから、自分の言うことは何でも聞いてくれるなどと話し、また、Cが、「私どものことはちゃんとやっていただけるんでしょうか。」などと、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発許可の見通しや一億円の収受について確認したところ、被告人Bは、被告人Aのことを「A」と呼び、「ちゃんとしています。心配しないで下さい。」などと答えた。
2 ところで、被告人Bの弁護人は、Eから被告人Bへの金員交付の状況を述べるRの供述は信用できない旨主張する。しかしながら、Rの供述は、それ自体詳細かつ具体的であって迫真性に富んでおり、他方、記憶にないことについてはその旨を述べている上、前後の状況も他の関係証拠によって認められる事情と矛盾なく符合しており、信用できるものと認められる。なお、被告人Bも、「平成二年一二月中にEから現金五〇〇〇万円を自宅で受け取った。」との限度では、五〇〇〇万円の受領について認めているものである。
二 第二回目の現金の要求及び供与状況
1 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) 平成三年二月上旬ころ、Qは、Eから、事前協議申出書の提出期限が近づいている折からこのへんで市長に中間金二億円を渡しておいた方がよいと先方が言ってきた旨を聞いた。Qが銀河事務所でDにこの旨を伝えたところ、Dは、Cらの意向を確認してから一両日中に回答する旨答えた。Dは、手元に資金がなかったこともあって、太東興産事務所でこのことをCに相談したところ、Cはこれを了承し、JがPを通じてQにその旨伝えた。
(二) Cは、そのころ、海外出張の予定があったため、太東興産本部長のSに対し、右事情を話し、平成三年二月一二日に二億円を用意するよう指示し、Jに対しては、これを自ら日立市まで運んでDがEに渡すのを見届け、被告人Aに現金を渡した確証を取るよう指示した。
(三) Sは、同日、西日本銀行新宿支店の太東興産の当座預金口座から二億円を引き出し、これをJらが一億円ずつ手提げ紙袋二個に入れた。そして、Jは、同日、右現金を同社社員T運転の車に積み込んで、待ち合わせ場所の前記喫茶店「こうひいやろう」に赴き、同日夕方、「こうひいやろう」において、Dとともに、Qに対し、一億円ずつ入った紙袋二個を交付した。
(四) その後、Qは、E宅に電話をかけ、二億円を受けとった旨報告し、その指示に従ってE宅に赴き、前記紙袋二個に入った現金二億円を交付した。
(五) 同日午後八時ないし九時ころ、被告人BがE宅を訪れ,Uの案内で応接間に入った。Eは、被告人Bと約三〇分間話をし、その際、Qが持ち込んだ紙袋のうちの一個を被告人Bに交付した。被告人Bが辞去する際、Eは、玄関で「よろしくお願いします。」などと言い、被告人Bは、「はい、分かりました。」と答えた。
(六) 平成三年二月一三日午前、Cから太東興産事務所に国際電話が入り、Cは、Jに対し、二億円が被告人Aに渡ることと被告人Aがゴルフ場の許可を出すことの確証を取ったかどうか尋ねたが、Qに交付した現金がその後どのように流れたのか必ずしも明確ではなかった。そこで、Cの指示を受けたJ及びDは、同日午後、茨城県日立市内のホテル「天地閣」の小会議室で、E、被告人B、Qと会い、Dから被告人Bに対し、二億円が被告人Aに渡ったかどうか確認したところ、被告人Bは、「ちゃんとしてあるよ。」などと答えた。そこで、Dは、領収書など金員を受け取った証拠となる書類を要求したところ、被告人Bは、領収書など出せる性質の金ではないとしてこれを拒否したが、その代わりとして、Cと被告人Aとが直接会う機会を作ることを約束した。その日程については、Dと被告人Bが連絡を取り合って調整することとなった。
また、この機会に、被告人Bは、雨情の里ゴルフ倶楽部について、被告人Aとしては、二七ホールは無理だが、住宅団地の付属の健康施設として一八ホールであれば認められる、被告人Aが茨城県知事などに根回ししている、平成三年三月の期限までに九〇パーセント以上の地権者の同意をきちんと揃えることが必要であるなどと述べた。
2 ところで、被告人Bは、公判供述において、「平成三年二月二二日の一〇日か二週間前、Eから、今から金を持っていく旨の電話があったが、金は要らないと断り、五〇〇〇万円だけ借りておくと言ったところ、Eは、とりあえず後で持って行くから一億五〇〇〇万円預かったことにしておいてくれと言った。平成三年二月二二日、被告人Bの事務所においてEから五〇〇〇万円の交付を受けた。」旨供述し、Eから現金を受領したことは認めるものの、受領した時期、場所、金額について、右認定と反する供述をする。
しかし、被告人Bの供述は、Eから提示された金額の半分だけを受領し、他の者に対しては、先の五〇〇〇万円と合わせて一億五〇〇〇万円を受領したかのように装うこととしたというその内容自体が合理性に欠けて不自然であり、また他の証拠による裏付けも伴わず、信用性に欠けるものである。前記1(五)の認定は、基本的にUの供述に沿うものであるが、Uの供述は、それ自体、詳細かつ具体的で臨場感に富んでいるばかりか、J、Qの供述とも整合しており、また、後記第四の二1(四)のとおり、平成三年三月二一日の太東興産事務所における会談において、被告人Bが一億五〇〇〇万円を預かっている旨発言していることとも無理なく符合するものであって、信用することができる。被告人Bの弁護人は、U供述は、紙袋のサイズや形状の点でJやQの証言と齟齬しているとしてその信用性を争うが、紙袋の形状に関するU供述は、大筋においてJ及びQ供述と食い違いはないものと認められる。また、被告人Bの弁護人は、被告人Bの来訪時にEの妻が在宅していたのにUが接待するのは不自然である、一回目の現金授受において自ら持参したEが二回目に被告人Bを呼びつけるのは考えられない、被告人Bは肩痛を患っており、紙袋を脇に抱えることは物理的にできないなどともいうが、所論にかんがみ検討してみても、本件証拠上、いずれについてもU供述の信用性に疑問を生じさせるほどの実質を伴った事情は存在しないものと認められる。
三 小括
以上のように、被告人Bは、Eを通じて、Cらから、平成二年一二月二五日に五〇〇〇万円を、平成三年二月一二日に一億円を、それぞれ受領したことが認められる。
第四 被告人Aによる現金収受の自認
被告人両名と雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社のCらが平成三年二月二一日に羽田空港の喫茶店で、また、同年三月二一日に太東興産事務所で、それぞれ会談していることは本件証拠上明らかであるところ、Cは、その際の状況を被告人両名に気づかれないように録音しており、その録音テープ及びそれを反訳した捜査報告書が証拠として提出され採用されている。
本件にあっては、右各証拠は、客観的証拠として特段の重みをもっているものと考えられるので、以下、これらによって認められる各会談における各人の発言内容を検討する。なお、録音テープの内容を要約して引用する場合についても、便宜、引用符を用いる。
一 羽田空港における会談
1 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) D及びJは、平成三年二月一三日の「天地閣」における面談において、被告人Bから、Cらと被告人Aとが直接会う機会を設けるとの約束を取り付け、その日程をQらと調整した結果、被告人Aが山口県へ出張した帰りに同月二一日羽田空港で会談することとなった。この会談におけるCらの目的は、Cらの支出した金員が間違いなく被告人Aに渡っているかどうかを確認するとともに、雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書の受付や意見の進達について被告人Aがどのように考えているかを知るところにあった。
この会談には、C、J及び太東興産社員のTが出席し、Cは、J及びTに指示して、会談内容をカセットテープに隠し録音することとした。この際に録音されたカセットテープがA甲五一であり、A甲五二の捜査報告書はその解読結果である。
(二) Cらは、羽田空港内の喫茶店で、被告人A及び被告人Bと会った。
C及びJが被告人Aと挨拶を交わした後、まず、Jが、「ざっくばらんな話をさせていただきますと、正式に先日Bさんをお願いして三億円を先生の方にご協力金として出させていただいたんですけれども、それが一応形として先生の方へおいてきてくれたかどうかという確認と、あとは、Bさんの方からは、許認可について先生にお願いしていることについては、三月三一日にずれ込むと、難しいという話を聞いてましたんで、その辺のことを、社長の前で、先生の腹の中を教えていただければということで。」などと言って会談の目的を説明した。
これに対し、被告人Aは、被告人Bを介して金員が提供されたとの点について何ら咎めることなく、「私は基本的にB君とは友達なものですからよく知っていますし、話は聞きますし、彼の言うことは私の言うことと思ってもらって間違いはないです。」などと答えた。
そして、被告人Aは、「私はゴルフ場は反対と言っています。」「知事選挙が四月七日ですから、それまでには結論は基本的に出しませんから。」「出せば大変なことになりますから、ゴルフ場全面反対と言っていますから。」などと述べ、平成三年三月三一日が事前協議申出書の提出期限であるが、同年四月七日の茨城県知事選挙までは結論を出さないとし、その上で、「ただ九〇パーセント以上用地の同意を取っていただかないと基本的に駄目ですから。」などと言って、事前協議申出書に必要な要件について話した。
(三) 次に、被告人Aは、二年半でゴルフ場ができるという話を聞いて、ムッとした旨述べ、「そういう話が出るとなれば私はやめますからね。」「それが信頼でしょ。」「DかEからでなければこの話は出ない話で。」「それが出るとなると、私はできないですから。まともに相撲とれないでしょ。私、命投げるかバッチ外すか。皆さんは作ればいいのだから。私はそうじゃないんですから。」などと述べ、ゴルフ場の開発が許可されるとの噂をDらが漏らしたのではないかと暗に批判したので、J及びCは、そのことは初めて聞いたが、これからそのようなことは絶対ないようにする旨述べた。
そこで、被告人Aは、「私も命かけてやるんですからね。」「基本的に二つくらいはやむを得ないだろうと、こう思っていますから。二つは雨情の里と…。」などと言って、二つくらいゴルフ場開発を許可すること、その一つを雨情の里ゴルフ倶楽部とすることを考えている旨話した。その上で、被告人Aは、「大変なんですよ。私にも時間をいただきたい。」「私はやるったらやりますから。時間も三年も五年もかかるっていう訳じゃないですから。一年や二年は。」などと言って、一、二年のうちには雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認める旨述べた。
これ対し、Cが、平成三年三月三一日を過ぎてから特例というものが簡単にできるのかと質問したところ、被告人Aは、「V知事がやるって言えばやる。」「次で当選しないといかんな。」「うちの親父が知事にしたんですから。」などと答え、V茨城県知事(以下「V県知事」という。)が次期知事選挙に当選すれば、特例を認めるよう働きかける旨述べた。
(四) その後、Cと被告人Aらは、茨城県におけるゴルフ場開発のこれまでの経緯などを話した後、被告人Aは、「反対する、反対するとやってね、今までいたわけですから、それを急にがらっと変えることはできないでしょ。だから、現地の連中らにも気を付けて発言しないと。」などと繰り返し雨情の里ゴルフ倶楽部の開発許可の噂が出ないように注意するよう述べ、また、「いろんなこと教えますから、私の知っている限りは。あなたにも知っていることは教えてもらわなければならない。」などと協力を約束した。
(五) また、被告人Aは、「一八ホールでやるしかないですからね。」などと言い、Cから「駄目ですか、二七じゃ。」と聞かれると、被告人Bは、「その話も実際ありましたからね、Dさんと。」「住宅団地を作って下さいと。一八ホールでやむを得ないと。そういう話でした。」などと述べ、被告人Aは、住宅団地の建設と合わせて、一八ホールであれば認める意向である旨話した。
(六) そして、Cが、「僕はね、Dが言ってることがどんどん変わってくるんで、金だけ取らせてどうなるんだと、本当に金が行ってんのかと、行ってないものをいくら出してもしようがないしね。ざるみたいなところに放り込んだって底が抜けるんだったらどうしようもねえからってんで。」「お前が会って、市長と会って、市長にちゃんと金が行っているかという、確認だけ取ったらそれだけでいいと、後はもう任せておけっていう話を僕はしたんです。」「Dに黙って出してたのがねー、いい加減になっていたんで。」「選挙のときだって、二〇〇〇万か三〇〇〇万は、一人で持っていくと言って持っていってんですよ。」などと述べて、被告人Aに現金が交付されているかをDに確認させようとした経緯などを話したところ、被告人Aは、「私は、持ってきてもあのときは受けなかったですよ。」と北茨城市長選挙の際にDから現金を受け取らなかった旨述べたが、それと合わせて、「それはB君がね、やってくれた。」「私は彼を信頼していますから。私は彼から金、借りています。」などとも述べた。
(七) 最後に、今後の接触については、Dなどを介さず、Jと被告人Bが直接会って話をすることとした後、被告人Aが、「約束は、皆お互いに、我々は守りますから、皆さんの方も守って下さい。」などと述べ、また、被告人Bが、C及びJに対し、「DさんにEさんから連絡したかどうか分からないが、してなかったら、社長と市長が今日会う約束だったが、会う時間がなくて会えなかったことにしておいて下さい。」などと依頼し、挨拶を交わして解散した。
(八) なお、Cは、この会談において、「C及びJが三億円を受け取っているかどうか質問したのに対し、被告人Aは、一億五〇〇〇万円はもらっている旨答えた。」旨供述するが、そのやり取りは、会談の状況を録音したカセットテープの解読結果に残されておらず、Cが後記する太東興産事務所における会談の際のやり取りと混同していることも考えられるところであって、羽田空港における会談で被告人Aが右のように述べたものとは認められない。
2 このように、被告人Aは、羽田空港における会談において、C及びJらに対し、太東興産側から金員を受領していることを前提に、一年ないし二年後には、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認める旨述べた。
3(一) これに対し、被告人Aは、当公判廷において、Jが三億円について確認した点について、「記憶は全くない。」「非常に嫌な話であるから、聞こうともしなかったし、自分に関係する金ではないから、当然印象に残ってないというか、あるいは雑然としていたから聞き取れなかったということもあるだろうし、また、自分に関係のないことだから答える必要もないし聞く必要もないと思っていたから、三億円については記憶がない。」などと供述する。
しかしながら、会談の冒頭においてJが会談の目的についてはっきりと述べていること、会談の相手方が冒頭に説明した会談の目的といった重要な事項を記憶していないというのは不自然であること、被告人Aは、その後、ゴルフ場開発に関して積極的に発言していること、この間、Cからも、本当に被告人Aに現金が交付されているかどうか確認するよう指示したなどという話が出ていたこと等カセットテープをはじめとする本件証拠上明らかな事情に照らし、被告人Aの右供述は信用できない。
(二) 次に、被告人Aは、当公判廷において、会談の中で二つくらいゴルフ場を認めてよい、その一つは雨情の里ゴルフ倶楽部などと発言した点について、「政治家だからパフォーマンスもしなくてはならないし、Bの顔をつぶすわけにはいかないので、リップサービスもあったと思う。それから口から出任せ言ったこともあると思う。雨情の里ゴルフ倶楽部をこの時点で認める気は全くなかった。」旨供述する。
しかしながら、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として当選した被告人Aが、リップサービスとしてゴルフ場開発を容認する旨の話をゴルフ場開発業者にするということ自体、不自然、不合理であること、被告人Aの右弁解は、被告人Aの右発言の後にゴルフ場の規模などゴルフ場開発の具体的な条件等について話が及んでいることと符合しないこと、また、そもそも、雨情の里ゴルフ倶楽部を認める気が全くないのであれば、この会談においても、ゴルフ場開発は一時凍結しており、雨情の里ゴルフ倶楽部も諦めて撤退するように述べるのが自然であるのに、そのようなことは一切述べていないこと、さらに、被告人Aも、捜査段階においては、「雨情の里ゴルフ倶楽部については二七ホールでは広すぎるので一八ホールに縮小して、住宅団地をまず手がけるということであれば、一ないし二年くらいはかかると思うが、ゴルフ場を作るのを認めてよい旨話した。」などと述べていることに徴し、被告人Aの前記供述は信用できない。
(三) また、被告人Aの弁護人は、この会談において、被告人Aは、「私はゴルフ場から一銭も貰っていない。」旨発言して現金を受け取ったことを否定し、また、随所で、ゴルフ場を認めない意思を匂わせている旨主張する。
しかしながら、被告人Aは、右発言の直前、「私は持ってきてもあのときは受けなかった。」旨発言しているように、平成二年一一月の北茨城市長選挙前にはゴルフ場開発業者から金員を受け取っていないことを述べたにすぎず、また、被告人Aの弁護人がゴルフ場を認めない意思を匂わせていると指摘する被告人Aの発言は、被告人Aがゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として当選した立場を説明した発言の中からその一部を抜き出したものであって、この会談における被告人Aの発言を全体としてとらえたものではなく、採用できない。
4 また、被告人Bは、当公判廷において、「羽田空港での会談の内容については全く覚えていない。Cが怒っていると思ってびくびくして行ったからそれでだと思う。」などと供述する。
しかしながら、被告人Bは、この会談の前後の状況については詳細に供述しているのに、会談の内容については全く覚えていないとするものであり、極めて不自然、不合理であること、被告人Bは、捜査段階においては、「細かい話の内容は今では余り記憶に残っていない。」としながら、前記認定と同様の内容の供述をしていることなどに徴し、被告人Bの前記供述は信用できない。
二 太東興産事務所における会談
1 《証拠略》によれば、以下の事実が認めれる。
(一) Cは、羽田空港における会談の状況の録音が必ずしも鮮明でなかったこと、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発申請を許可する時期について確実に言質を取っておく必要があると考えたことから、被告人Aと再度会談する機会をもとうと考え、Jにその旨指示し、これを受けてJは被告人Bと日程の調整をした。
(二) 平成三年三月二一日、東京都千代田区永田町所在のパレロワイヤル永田町八〇四号の太東興産事務所で、C、J、T、被告人A、被告人Bが会談した。この際にも、Cは、Tに会談内容を隠し録音するように命じた。この際に録音されたカセットテープがA甲四九であり、A甲五〇の捜査報告書はその解読結果である。
(三) まず、被告人Bが、羽田空港において被告人AらとCらが会談したことがDを通じてEに知られている旨不満を述べた。これに対し、Cは、「裏の金のやり取りは、市長と僕が二人でやればよいことですから、他の人間がどうこういう話じゃないから、Dなんかにもその話をお前(J)はすることはねえんだよ。」などと、Dを介して裏金のやり取りをすべきではない旨述べた。
そして、Cが、続けて、「俺は絶対Dに会わないしさ、なんでワンクッションおいてるかっていうと、やっぱり会えばいろんな話が出るわけ、この前の会った時でも、Eはもう責任持ってますからという話まで、Eは責任持ってやってますから、既に市長には、その僕のとこからの二億以外に一億二〇〇〇万も行ってるんですと、そういう話もしてんですよ、ね。」などと言うと、被告人Bは、「あのー、自分は皆に話はしてなかったんですが、市長にはまだいってないですけどね、私が市長にと預かっているのは一億五〇〇〇万です。」と言い、また、Cが「二億、この前の二億が」と言うと、「私が預かっているのは一億五〇〇〇万です。」と重ねて発言し、被告人Bは、被告人Aのために一億五〇〇〇万円を受け取っていることを自認した。
(五) これを聞いて、Cは、太東興産側が被告人Aに供与しようとした現金の半分が被告人Aに渡っていないことを知り、「んだからそういうことになるだろ、全部違うんだ。Dから僕がこの前会ったとき聞いたのは、市長に、一二月の何日に一億と、その前に二〇〇〇万円持っていっとると。んで、この前市長に言うからというときに二億を持ってっているわけですね。それはちゃんと渡しましたと、そういう話なんですよね。」などと言い、Jに対し、「お前、渡したんだろ。」「お前、誰に渡したんだ。」「皆、いた所で渡したんだろ。Dも居てお前も居て。」などと質問するなどして、現金供与の状況を尋ねた(なお、Cが、ここで「二〇〇〇万円」としたのは、前記の茨城県日立市内の「網元」における会談の後にDがLに提供した三〇〇〇万円を二〇〇〇万円と誤って発言したものと認められる。)。
これに対し、被告人Aは、「それはね、あのうあれなんじゃないの、ま、それはそれとしてさ、やっちゃったんだから、もらってねんなら、もらってねーったって、おらも聞いてねえし。」などと、太東興産側がEに供与した金員が合計三億円であったことは聞いていないこと、被告人Bが受け取った一億五〇〇〇万円以外の金員は受領していないことを述べた。
(六) そして、被告人Aは、「ただそんなことよりも、ゴルフ場やんでしょうから、ね。」と言って、ゴルフ場開発に話を向け、「三月三一日までは大変なことになりかねない状況にありましてね。」「全部おしなべて一緒に出てきてますから。リゾートの中に入っているゴルフ場は全部ノーにして、セントラルもノーにするわけですから。」などと、大変な状況であることを説明した。
そして、被告人Bが、「そっちの方(セントラル)も、Eさんの方から何とかしてくれないかと私の方に話が来てますから、それは駄目だと、私は一つだけだと。」などと、セントラルヒルゴルフ倶楽部についてもEから話があったことを述べ、さらに、被告人Bが、「そういうさなかにありますので、半分は取られるのは、これはもう自然ですから、それはやむを得ないと思いますよ。」などと、Cらから供与された金員の半分をEらが受領したこともやむを得ないなどと説明した。
(七) さらに、被告人Bは、「ホテルの話だって一割五分や二割は取られるかもしれない。」などと、県戊田自動車学校が所有する十王町の土地の太東興産との間の売買についても、Eが関与している以上、一定金額を取られてしまうかもしれない旨述べ、「それはしゃあないでしょう。ああいう人はあれで稼いでいるんだからね。」などと述べた。
これを聞いて、Cが、「おかしいや、これは。窓口が悪すぎたんだ。」と、Eを介することにより多額の金員が必要となることになお不満を述べると、被告人Aは、「直接でね。」と述べ、十王町の土地の売買など、今後については、Eを通さないで交渉することを提案した。そして、被告人Bは、「今回のホテルのやつでお互いの考えをまとめなくちゃいけない。」「ホテルは今の時価よりは若干高いか知れないけれども、たまげるほど高い値段じゃない。」「ホテルを買ってもらった、ゴルフ場を作れなかった、これじゃあすまないですからね。それが一番この社長に合うようになるんじゃないの、これでいいんじゃないのという話をしたの。」などと、十王町の土地の売買の進行を求めた。
そして、Jが、羽田空港での会談を設けた趣旨を説明した後、Cは、その会談後、Dから、被告人Aに二億円渡ったかどうか確認を取ったか聞かれ、「それは取ったよ。一億五〇〇〇万円も二億も同じことで一緒だからいいよ。」と話したことを述べた。
(八) そして、被告人Aは、「うちの方の状況、どんな風な状況になってるの。」と言って、雨情の里ゴルフ倶楽部の状況について質問し、Jが、平成三年三月一九日に事前協議申出書を北茨城市に提出したこと、地権者の中に開発同意を撤回しそうな者がいることなどを説明し、また、Cらは、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発に五〇億円以上出していることなどを話した。
(九) その後、被告人Bが、「こないだ約束したとおり、金が行っている先を全部出してくれる。」と、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社が金員を拠出した先を明らかにするよう依頼したところ、Cは、「はい、はい、はい。」とこれを承諾した上、「僕はBさんにも言おうと思ったのは、僕とね、ここで約束してね。僕と市長がここでやったこと、僕だってまかり間違ったら一緒にいかなくてはいけないですからね。私だって北茨城だけでそんなこと。他のゴルフ場があるんですから。もっと高いものがあるんですから。今ゴルフ場だけで六百何十億という金を放り込んでいるんですから。はっきり言います。僕自身が、もし、あっちこっち変なばれ方するんだったら、僕は、代表早くやめちゃいますよ。裏に回りますよ。僕は他のゴルフ場が駄目になる方が怖いんです。だから、市長と僕がここで約束してね、裏金いいですよ、四億、分かりました、あのホテルも結構ですよと約束してね。また、Eさん、D、お前(J)の言葉からそういうことが出るんだったら、俺はこの話やめたっていいよ。」などと発言し、被告人Aとの関係が明るみに出て摘発され、他のゴルフ場開発ができなくなってしまうことが怖い旨話した。
(一〇) そして、被告人Aが、「九ホールの場合は認めざるを得ない、(ゴルフ場を)認めるとして、社長、そういう条件はどうですか。」などと、ゴルフ場開発を認める条件について考えを聞いたのに対し、Cは、「いいですよ。うちは色々な条件付けられたって出来さえすればいいんですよ、要するに。」と答え、ゴルフ場の完成が目標であり、条件はこだわらない旨話した。
(一一) その後、被告人Aは、「それでね、V知事に。具体的な話をしてね。」「私一緒に付いていきますから。」と言い、更に県議会議員の名前を挙げた上、「私の方はいつでも話しに行けますから。」などと言って、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発にあたっては、V県知事らにも働きかける必要があること、それに対し協力することなどを話した。
そして、被告人Aは、「五浦ゴルフ場、これは駄目です。日本庭園、これも駄目。それから、セントラル、これは現在断念するように私が力づくでやってます、どんな真似しても私は駄目って言ってます。」「雨情の里これも駄目だったんです。しかし、駄目じゃなくなってきたでしょ。」などと、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約とした以上、ゴルフ場開発は認められないとしていたが、雨情の里ゴルフ倶楽部については情勢が変わってきたことを述べた後、「ゴルフ場は反対であるが、一〇万人都市構想の場合には住宅団地という意味合いからスポーツ施設が必要になる。ですから、そういう意味からいくと、三月三一日まではゴルフ場は反対である。しかし、土地の見直しをすれば、その時点で、理由は、いわば立つ。もう少し折衝して、それは地区住民の賛成のいかん、こういうことでやります。」などと話して、平成三年三月三一日まではゴルフ場開発を一時凍結とし、雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地には住宅団地を建設することとし、住宅団地ということであればスポーツ施設が必要であり、地区住民の賛成があるということであれば理由が立つので、このような方法により雨情の里ゴルフ倶楽部を認める考えであることを述べた。
(一二) その後、十王町の土地の売買の話になり、被告人Bが、「お金が来ても途中で半分になっちゃうってところが、頭に入れてもらわなくちゃいけないの。」などと、間に入っているEに金を半分取られてしまうことを指摘したのに対し、被告人Aは、「もういいよって、言ったらいいんじゃないの。」と言い、Cもこれに賛成した。これに対し、Jが、「ただ、Dさんはそれはできないですね。」と、Dについてはその関与を排除することはできない旨言うと、Cは、Jに対し、「Dに決まった金はやるんだから。それとこれとは別に分けちゃえよ。」「裏の金なんか話すな。」「よし、そしたら、値切っちゃおう、裏を。」などと、この点にDを関与させない方法などについて話した。
(一三) そして、被告人Bが、「二七ホールをね、一八ホールにさせるかどうかという話で。」などと、雨情の里ゴルフ倶楽部のホール数の縮小の話を持ち出すや、Cは、「だからね、この一八ホールだけはやめてよ。少々金かかってもいいから、そのまんまいかせてよ。ね、その辺だけ、市長、腹くくってよ。」などと言ったのに対し、被告人Bが、「二七なら二七の方法として、どうやったら二七になれっかだよ。」などと協力を求め、Cが、「そういうことですね。だから、それは、こっちも一生懸命いろんな努力をしますから。」と答えたのに対し、被告人Aは、「腹をくくってね、私もやるんだから、やっぱり腹をくくってやる仕事を助けてもらわないと、困りますと言うことだけですよ、私は。」と話した。そこでCは、「はい。それは、構いませんので。…もう八億なら八億という話は、それで終わりにしちゃおう。」と言って、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認めてもらえるならば、十王町の土地を八億円で購入することを承諾した。
(一四) その後、被告人Bは、再び、「一億五〇〇〇万預かって、あとは…預かってませんからね、私は。」「それしか預かってませんから。」と言い、被告人Bが被告人Aのために受け取った金員は一億五〇〇〇万円であり、それ以上は受け取っていないことを強調した。
これに対し、Jが、「どうして、どこで、どういう追っかけるか、追っかけないかですよ。」と、太東興産側が支出した金員のうち被告人Bに渡らなかった部分がどこに帰属したか確認すべきかどうかを尋ねたのに対し、Cは、「そんなこと言ったらおかしくなっちゃうから黙っとけよ、そんなもんいくら言ったってさ、直接渡したわけじゃねえんだから。」「ややこしい話いくらしてもしゃーないよ。やくざもんに、もっと上の方から、この野郎って言って、拳骨やったってよ、お前、金は戻ってくるか分からないけどさ、今度、色んな意味でやりにくくてしゃーないよ。人の金食った、食わないであんなもん、お互い常識みたいなもんで、ねー、あの世界で常識…。」などと述べ、右金員はEが途中で取得したであろうが、それについては確認する必要はない旨述べた。
(一五) その後、被告人Bは、「ホテルの表に出すのを四億と言ったけれども、あと五〇〇〇万くらい何とかできないかって言うんだけど。」などと十王町の土地の売買代金八億円のうち、表金を三億五〇〇〇万円、裏金を四億五〇〇〇万円とできないかと話し、Cがこれを承諾したところ、被告人Aは、「経理やっている者が、非常に、容易じゃないんだって、私は会長を辞めるようになっちゃう。」「辞めないと、なんせ、選挙資金使っちゃって。」「一〇億はいくでしょう。」などと、裏金を増額する理由について説明した。
また、被告人Aは、「議員から、しゃあねえじゃねえか、しゃあねえじゃねえか、と言わせておきますから。それにやっぱり金使わなくちゃならねえでしょう。」「二年後には必ず。」などと、雨情の里ゴルフ倶楽部の実現のためには、北茨城市議会議員に働きかけるなどの金が必要であるが、二年後には必ずゴルフ場開発が実現するようにする旨述べた。
(一六) その後、被告人Bが、「選挙が終わってすぐだもんね、この話が来たのね、何とかしてくれってね。」と、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発への協力依頼が来たのが平成二年一一月の北茨城市長選挙の直後であると話し、Cが「Eさん二人から。」と言ったところ、被告人Aは、「いやー、会わなければよかった、あれで失敗した。」と言った。
2 このように、被告人Aは、被告人Bが「私が市長にと預かっているのは一億五〇〇〇万です。」などと発言した際、それを咎めたり、事情を問い質すような発言は何らしておらず、従前と変わらない態度であった。また、被告人Aは、その後、平成三年三月三一日まではゴルフ場開発を一時凍結とするが、雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地に住宅団地を建設し、健康施設として雨情の里ゴルフ倶楽部を認める考えであることを明らかにしており、Cは、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認めてもらえるならば、十王町の土地を裏金を含めて八億円で購入する考えであることなどを述べている。
3(一) 被告人Aの弁護人は、まず、被告人Bが「私が市長にと預かっているのは一億五〇〇〇万です。」と発言する直前に、「自分は皆に話はしてなかったんですが、市長にはまだいってないですけどね。」と発言していることから、この発言は、「市長にと一億五〇〇〇万預かったけれども、そのことを市長にはまだ話していない、市長に話を通じていないことを皆にも話していなかった。」という趣旨である旨主張する。
しかしながら、被告人Bが右発言をしたのは、前記1(四)で摘示したとおり、Cが太東興産側からEに対し三億円を超える現金が渡っている旨話したことを受けたものであって、前後の脈絡に徴すると、被告人Bの右発言は、(1)「太東興産側はEに対して三億円を超える現金を渡しているようであるが、私が受け取ったのは一部だけである。皆には話していなかったが、市長にはまだ行っていない(渡していない)が、自分が市長にと預かっているのは一億五〇〇〇万円だけである。」との趣旨を述べたものとみるか、あるいは、(2)「太東興産側はEに対して三億円を超える現金を渡しているようであるが、私のところまで来ていない分があることについては、皆には話していなかったし、市長にもまだ言っていない(話していない)。私が市長にと預かっているのは、一億五〇〇〇万円だけである。」との趣旨を述べたものとみるのが、無理のない自然な理解である。また、被告人Bの右発言が「市長にはまだ言っていない(話していない)」との趣旨を述べたものであったとみる場合には、その他の可能性として、(3)金員を受領したことは市長に全く報告していなかった旨言おうとしたケース、(4)金員を受領したことは市長に報告したが、一億五〇〇〇万円という具体的な金額は報告していなかった旨言おうとしたケースが想定されるが、既に摘示した一連の経緯、特に前記第四の一の羽田空港における会談を経由していること等に照らすと、(3)(4)いずれのケースも現職の市長という被告人Aの立場を慮って虚構を述べたものなどと理解せざるを得ないところである。以上いずれにしても、被告人Bの右発言をもって、金員を受領したことが被告人Bから被告人Aに一切通じていなかった証左であるなどとみることはできないというべきである。なお、この点に関する当の発言者である被告人Bの供述について付言しておく。被告人Bは、公判供述において、「市長にはまだいっていない」とは「市長にはまだ話していない」の趣旨であり、金員の受領についてこのとき以前に被告人Aに話したことはない旨述べている。しかしながら、他方、被告人Bは、公判供述において、羽田空港における会談の前か太東興産事務所における会談の前か判然としないが、被告人Aに対し、「自分が一億五〇〇〇万円預かったことにするから話を合わせてくれ。」と依頼したところ、被告人Aはこれを拒絶しなかったとも供述しており、そのように意図していたとする被告人Bの発言であってみれば、「市長にはまだいっていない」とは、市長に話が通じていることを前提に、「市長にはまだ渡していない」との趣旨を述べたものと理解すべきことになりそうである。以上のように、この点に関する被告人Bの公判段階の供述は、実質的に自己矛盾供述となっており、また、いずれも前記第三の二2で指摘したとおり、第二回目の金員を受領した時期、場所、金額について信用し得る他の証拠と乖離しているような状況にある。これらの事情に照らすと、被告人Bの公判供述に依拠して右発言の趣旨を探求することは相当でないものと思料される。
(二) また、被告人Aの弁護人は、被告人Aが、「もらってねえなら、もらってねーたって、おらも聞いてねえし。」と発言していることを根拠に、被告人Aは、被告人Bが一億五〇〇〇万円を預かっていたことをこのとき初めて聞いたものであると主張する。
しかしながら、この点についてみても、被告人Aが右発言をしたのは、前記1(五)で摘示したとおり、太東興産側が支出した金員の一部しか被告人Aに渡っていないことをCが問題にしたのを受けたものであって、前後の脈絡に徴すると、被告人Aの右発言は、「被告人Bが受領したとする一億五〇〇〇万円を除く金員については被告人Bは受け取っておらず、自分もその報告を受けていない。」との趣旨と理解すべきものである。
(三) さらに、被告人Aの弁護人は、この会談において、被告人Aは雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認めない旨の発言を随所にしている旨主張する。
しかしながら、被告人A自身も、捜査段階において、「Cが雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を早く認めてもらいたい旨頼んできたので、土地利用の見直しをする必要があるが、一、二年後には雨情の里ゴルフ倶楽部の開発ができるようにしてやりたい、そのためには、まず、住宅団地を手掛けてもらい、地域住民の賛同が得られるようにしてもらう必要がある旨話した。」「雨情の里ゴルフ倶楽部の開発をできるようにするためには、県のゴルフ場開発を平成三年三月末でいったん凍結する旨の方針を解除してもらうためにV県知事らにその旨頼む必要があることやV県知事らにその頼みをしに行く際に同行してあげる旨話した。」などと供述していたところである。また、被告人Aの弁護人が指摘する箇所は、いずれも、被告人Aはゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約に選挙戦を戦ったこと、したがって、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発にあたっては、その公約との整合性をいかに図るかが今後の問題であることなどを話す際の導入部分、あるいはその道筋を話すために発言したものの一部を抜き出して指摘するものであり、この会談全体の流れをとらえたものではなく、採用できない。
(四) また、被告人Aは、当公判廷において、Bが、前記1(四)のとおり、市長にと一億五〇〇〇万円預かっている旨発言したのを聞いたとき、「びっくらこいちゃって天井が落っこっちゃたような感じしました。」と供述し、それに対し、前記1(五)のとおり、おらも聞いてねえなどと発言した趣旨について、「びっくりしちゃって天井が逆さまになるほどびっくりしちゃって、とんでもねえ、もらってねえんだし、もらってねえんだからもらってねえで、俺はもらってねえから、そんなこと聞いてねえからと、もらってねえんで聞いてねえんだよということを、否定してます。」などと弁解する。
しかしながら、カセットテープ、捜査報告書によれば、被告人Aは、被告人Bが市長にと一億五〇〇〇万円預かっている旨の発言をした際、それを咎めたり、その趣旨を問い質したりするなどの行為を何らしておらず、また、右発言の直後のみならず、その後においても、被告人Aに気が動転していたことをうかがわせる言動はみられない。むしろ、被告人Aは、前記一(一二)(一五)のとおり、その後の会話において、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認めるのと併行して、十王町の土地を裏金四億五〇〇〇万円を含め八億円で売買する話を進め、また、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発にあたっては、V県知事などにも働きかけ、また議員に金を使う必要がある旨話しているのであって、被告人Bの右発言内容を当然の前提としていたことが認められる。
また、被告人Aは、被告人Bの右発言に対し、それを咎めたり、その趣旨を問い質したりするなどの行為をしなかった理由について、当公判廷において、「いきなりBの顔を潰すわけにもいかない、潰したら、やくざ者から何をされるか分からないから、これを言ってはまずいということで言わなかった。」旨弁解する。
しかしながら、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として北茨城市長に当選した被告人Aが、ゴルフ場開発業者の前で、その地位を揺るがしかねない被告人Bの右発言を初めて聞いたにもかかわらず、これを咎めたり、その趣旨を何ら問い質したりしないというのは、極めて不自然であり、合理性に欠けるものといわざるを得ない。
さらに、被告人Aは、検察官調書においては、「羽田空港における会談に際し、あらかじめBに頼まれたので、私からCらに対し、雨情の里ゴルフ倶楽部に関する金について、預かっているという話をしたことがあった。実際には私は金を預かっていなかったし、被告人Bのところにも金は来ていないとのことだったが、何らかの事情でBは私にそのように言ってもらう必要があるのだろうと考えて、Bの頼みを承諾してしまった。」との趣旨を供述していたものである。これと対比すると、被告人Bの右発言を聞いて驚愕したとする被告人Aの公判供述は、金員の授受を否認する点では同じでありながら、被告人Bの右発言が予期し得るものであったか否かという重要な部分において、弁解の実質が大きく変容している。また、被告人Aは、検察官調書においては、被告人Bの右発言を聞いていない旨断定的な供述をしており、被告人Bの右発言を聞いて驚愕したとする公判供述とは、全く異なる弁解をしていたものである。
第五 現金収受後の状況
一 雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書に関する手続の経過
1 事前協議申出書の受付
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) Dは、北茨城市への提出期限の平成三年三月二〇日の前日の同月一九日に北茨城市建設部建築課に行き、雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書を提出した。同課課員のWがこれに応対したが、書類の不備を指摘し、右申出書の受付をしなかった。そこに、被告人Aが来て、「お前たち、何やってんだ。」などと課員に声を掛け、Wらから説明を受けた後、「どうせ見直し保留という意見で出すから、県に出してあげなさい。受け付けてやりなさい。」などと言った。これを受けて、Wらは、「市長が出せと言われるのだから出す方向で書類整備に全力を尽くしましょう。」などと言って右申出書の受付をした。Dは、この事情をC及びJに報告した。
(二) Wは、当公判廷において、「被告人Aから事前協議申出書の受付について指示を受けたか覚えていない。」旨供述する。
しかしながら、右事実については、Dが詳細に供述しているほか、C及びJがその直後にDから報告を受けた旨供述している。また、W自身も、捜査段階においては、被告人Aがゴルフ場開発業者の応対をしていたWのところに来て、右内容の指示をした旨、これを認める供述をしていたものであって、その公判供述にしても、右事実を覚えていないとするだけでこれを明確に否定するものではない。以上のような証拠関係に照らせば、右事実は十分これを認めることができる。
また、被告人Aは、当公判廷において、Wに指示した内容は、書類はきちんとしたもの以外は上げるなという趣旨であったと供述する。
しかしながら、被告人Aの右供述は、関係証拠上、雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書に書類上の不備がある旨担当職員から指摘されていたにもかかわらず、結局その受付がなされている事実と齟齬しており、信用性に欠けるものといわざるを得ない。
(三) 被告人Aの弁護人は、被告人Aは、結局、調整意見書に消極意見を記載しているから、右事実は何ら雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社に対する便宜供与とはならない旨主張する。
しかしながら、事前協議申出書が市町村の受付期限までに受け付けられなかった場合は、その申出書に基づく許可はあり得ないが、一応受け付けられた場合は、その後の事情によっては、許可される可能性も残されることになるとの点は、否定できないというべきである。
2 調整意見書の作成
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
被告人Aは、平成三年三月一九日に提出された雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書について、「当該ゴルフ場の建設は、当市のゴルフ場建設に対する考え方が、一時凍結、土地利用計画の全面見直しということであり、現時点でのゴルフ場建設は認められない。」旨の調整意見を付して県に進達した。この調整意見は、雨情の里ゴルフ倶楽部と同時期に事前協議申出書が提出されたゴルフ場計画のうち、五浦カントリークラブ、葵ゴルフ倶楽部に係るものとほぼ同内容であったが、直前に処理されたセントラルヒル磯原ゴルフクラブに係る調整意見が「当該ゴルフ場の開発は、経済的効果、雇用等の地域振興上の効果も少なく、大規模開発による自然環境の破壊が危惧されるので、当該開発については、当市として認められない。」などとされていたのに比して、同じく消極意見ではあるものの、「現時点で」と留保が付されているように、土地利用計画の見直し後にはゴルフ場開発に同意する余地がある旨の含みがある内容となっていた。
3 事前協議申出書の不受理
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
茨城県知事は、平成三年五月七日付けで、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社が提出した事前協議申出書について、「当該開発計画について北茨城市長の積極的な同意が得られていないこと」を理由に、それを受理できない旨、北茨城市及び雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社宛に通知した。
4 関本ニュータウンの建設構想
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
被告人Aは、平成二年一二月二七日に、当時北茨城市内でゴルフ場開発を企図していたゴルフ場開発業者一〇社の担当者を集めて、ゴルフ場開発の一時凍結について説明するとともに協力を要請し、更に平成三年一月九日と同月一一日の二回にわたり、前記ゴルフ場開発業者一〇社と個別協議をしたが、その際、雨情の里ゴルフ倶楽部に対しては、他の九社の場合とは異なり、「四〇〇町歩、二万人の住宅団地の建設を考えている。」などとゴルフ場開発に代わる具体的な代替案を提示していたところ、その後、被告人Aは、同市企画課に対し、従前あった北茨城市の総合計画の部分修正を指示するなどし、同年八月には、「10万人都市づくり基本構想策定予備調査」と題する小冊子において、雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地内に「関本ニュータウン」を建設する構想を示した。
5 ゴルフ場開発をめぐるその後の情勢
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
平成三年秋ころ、高萩市において、ゴルフ場開発業者に対する選定通知を市長が白紙撤回したことから紛争が生じ、右ゴルフ場開発業者が民事訴訟を提起するという事態にまで発展した。これについて、ゴルフ場開発業者が市長に賄賂を贈ってゴルフ場開発を認める約束を取り付けていたのに市長が裏切ったから民事訴訟になったとの噂が飛び交った。また、同じころ、高萩市の茨城カントリークラブが会員権を過剰販売したことが刑事事件に発展する騒ぎとなった。このようなことから、茨城県がゴルフ場の開発を認めるのは困難な情勢になった。
二 被告人Aと雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社との交渉経過
1 北茨城市役所における会談
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
平成三年四月ころ、C及びJは、北茨城市役所の応接室で被告人Aと会い、住宅団地と二七ホールのゴルフ場の建設計画の図面を示しながら、「とにかく二七ホールで申請を受け付けてもらいたい。」旨陳情したが、これに対し、被告人Aは、ゴルフ場でなく住宅団地を前面に出して、その付属的なスポーツ施設ということで造るとすれば、二七ホールは非常に難しいなどと述べた。そこで、Cは、住宅団地用地が足りなければ買い増ししてでも、二七ホールのゴルフ場として認めて欲しい旨述べたが、結論は出なかった。しかし、この際、被告人Aから、ここは住宅団地だからゴルフ場は諦めて欲しいなどの話はなかった。
2 E宅における会談
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) Cは、雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書が茨城県に受理されるものとの希望的観測を抱いていたが、前記第五の一3のとおり、平成三年五月七日付けで茨城県知事から同申出書を不受理とした旨の通知を受けたため、Dを呼んで事情を説明させ、善後策を協議した。Dは、少し時間を下さいなどと言ったが、Cはこの説明に納得せず、いつまでに許可するとの内容の書類を取るようJに指示した。そこで、Jは、Dに対し、被告人Aらに説明させる機会を設けるように指示した。
平成三年六月中旬ころ、E方において、J、D、E、被告人A、被告人Bが会談し、Dが「不受理はどういうことなんでしょうか。」と尋ねたところ、主として被告人Bが、「北茨城市は全面見直しなので、必ず一か所か二か所は受け付ける時期がある。そのときに必ず受け付けてもらえるようにするので、少し時間が欲しい。」「今回は不受理となったが、一二月末か来年三月とかにうまく滑り込ませる。」「県知事にもお願いしている」などと言い、被告人Aも、「俺は約束したことはやるよ。」などと同趣旨を述べた。
Jは、会談の結果について、Cに対し、「北茨城市は全面見直しの状態なので見直す可能性が高い、県が臨時に窓口を開けるのでそれに沿った形で準備をしておきたい。」旨報告した。
(二) この点について、被告人Aは、当公判廷において、「平成三年六月にE方でD及びJと会った記憶はない。」旨供述する。
しかしながら、右事実はJ、Dが一致して認める事実であるところ、両者の供述は、詳細かつ具体的であり、また、その際の客観的状況にも符号していて信用できる。
3 被告人B事務所での会談
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
前記2のE方での会談後、Jは被告人Bにたびたび電話をし、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発許可の時期などについて問い合わせをしたが、被告人Bから確答は得られなかった。そこで、Cは、Jに対し、そろそろ結論を出すよう指示し、また、被告人Bからも、Eを含めて話をしたいと言ってきた。そこで、平成三年九月ころ、茨城県高萩市の被告人Bの事務所において、C、J、E、被告人A、被告人Bが会談した。その際、Eは、甲田市長が同市のゴルフ場について茨城県が認めるという話をした旨の新聞記事を話題にし、これは、被告人Aに対してV県知事が「地元の要望があればゴルフ場建設の許可をする。」旨話したのを、高萩市長が自分の話と勘違いして新聞発表したものである旨話し、V県知事と被告人Aとの間には、右内容の話ができている旨説明した。また、Eは、それと共に、茨城県下のゴルフ場建設をめぐる状況について、茨城カントリークラブが会員を過剰募集したため、ゴルフ場に対する風当たりが強く、事態が収まるまで時間が必要である旨説明した。その席で、被告人Aは、「とにかく地元から請願を取ってくれ、そうしないと自分としてはやりづらい。」などと話し、これに対し、Cは、「少しでも早くお願いします。」旨言った。
4 Eらによる残額一億円の請求
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
前記3の被告人B事務所における会談のころ、EからCに対し、「自分たちの仕事は終わったので、約束の金の残金一億円を渡してくれ。」との要求があった。そのころの太東興産はぎりぎりの経済状態であり、追加して資金を出せるような状況ではないこともあり、Cは、DとIにかねて現地対策費として渡してあった金員の中から資金を提供させようとした。すると、Iが五〇〇〇万円を太東興産に返金してきたが、Cは、一億円をさらに払うことに気が進まなかったので、これを太東興産の会計に入れ、E側には交付しなかった。そのため、Jは、平成三年一〇月初旬、別途調達した五〇〇〇万円をQを介してEに支払った。
5 Cによる二億円の返還請求
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) 平成四年に入り、Cは、太東興産の資金繰りが更に悪化し、また、被告人Aらがいい加減な返事ばかりして話が前に進まないと感じ、被告人Aに圧力をかけようと、同年八月二五日、Sに指示して、被告人Aに対し、太東興産側が支出した二億円を返却するように請求する旨の内容証明郵便を送付した。また、Jに対し、被告人Aが雨情の里ゴルフ倶楽部をどうするのかはっきりさせるように指示した。そこで、Jは、同年九月一五日ころ、E方において、E、被告人A、被告人Bと会談する機会をもった。その席で、被告人Aは、内容証明郵便について、「何であんなことをするの。あんなことをしても、何にも得にも損にもならないよ。」などと言った。この際に、Jが雨情の里ゴルフ倶楽部についての見通しを尋ねたところ、被告人Bは、北茨城市ではゴルフ場の一つや二つは造るのも仕方がないという機運が盛り上がってきた、V県知事との間で根回しができているなどと話し、被告人Aは、請願書を集めればやりやすいなどと言った。そして、Jがなおも確答を求めると、被告人Bは、Cに直接会って説明する旨約した。
(二) この際の状況について、被告人Aは、当公判廷において、「Bに事実無根だからCを即刻呼び付けろと指示し、E方に行った。E方で、まず、Dに文句を言うと、Dは平に謝ってとにかく勘弁してくれと言った。次に、Eにも文句を言うと、Eは、名前を使いこんな不始末をして本当に申し訳なかったと言って土下座をした。」などと供述する。
しかしながら、右会談の結果については、この当時にJがCにその内容を報告するために作成した報告書があるところ、同報告書には、「当社としては、雨情の里ゴルフ倶楽部の許可をおろすのか、金銭を返却するかとの返事をもらいたいとの話をする。」「市長としては、市としても許可をおろすべく行政のコンセプトを纏める様努力をしてきた。先日来、社長との面談の際にも話をしている様に、宅造の計画及び用地の買収、ゴルフ場誘致の請願書等の取り付け、等の行動がゴルフ場許可を地域住民に納得させる用件となっているので、形が出来れば許可をおろすことには支障がない。」(原文のまま)などと記載されている。右報告書は、当時作成された太東興産の内部文書であって、ありのままをJからCに報告したものと認められるから、その信用性は高く、前記認定事実を客観的に裏付けている。右報告書の内容に反する被告人Aの前記供述は信用できない。
6 残土処理及び予定地売却に関する便宜供与
《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告人Aは、平成四年秋ころ、被告人Bを通じ、Cに対し、茨城県内におけるゴルフ場開発が困難となった情勢を踏まえ、これに代わる開発案を勧めることとし、被告人Bは、Cに対し、「ゴルフ場は許可が出しにくいし、できれば住宅団地に変えてもらえないか。」などと言った。そして、被告人Aは、平成五年ころ、被告人Bを通じて、Cに対し、雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地の付近に東京電力が火力発電所を計画しているが、それには埋立に使う土が必要であるから、ゴルフ場用地を宅地造成してできる残土を買い取らせればよいとの提案をした。Cも、景気が後退していることもあってゴルフ場はうまみがなくなったことなどから、住宅団地に方向転換した方がよいと考え、この提案に同意した。その後、Cは、被告人Aに右話を確認したところ、被告人Aは、「ゴルフ場ではなくて住宅団地を造って欲しい。その中に病院を建てるのでその用地を寄付して下さい。残土は火力発電所の埋土に使ったらよい。」などと言った。Cは、この提案に同意するとともに、工事業者をCの関係業者とするように依頼した。また、Cは、用地の買収をした後、雨情の里ゴルフ倶楽部を宅地開発業者に転売しようと考えた。
(二) そこで、Cは、まず、平成五年二月ころ、知人の太平工業株式会社東京支店総務部長のXに、右計画を話し、被告人Aと懇意にしているので紹介するなどと言って、同年三月ころ、北茨城市役所の市長室にXを連れていった。Cは、被告人Aに、Xを紹介し、「北茨城市の東京電力の発電所の工事を太平工業で受注できるよう東京電力に口添えしてもらいたい。」などと依頼した。Xはこの旨を上司に報告し、その後、同年四月上旬ころ、Xは、Cと共に上司を連れて被告人Aを再度訪問した。その際、被告人Aは「ほかならぬCさんの頼みですから、分かりました。」などと言って、その場で、東京電力本社に電話をかけ、「北茨城市の火力発電所建設の件で太平工業がお訪ねすると思いますから、よろしくお取り計らい下さい。」などと言った。
(三) また、Cは、平成五年二月ころ、知人を通じて、馬術クラブの建設を企図していたケーグループトウキョウの実質的経営者であるYに、雨情の里ゴルフ倶楽部の建設予定地の売却を持ちかけた。そして、同年六月下旬ころ、Cは、Yから指示を受けた同社代表取締役のZと共に北茨城市役所の市長室に行き、被告人Aに紹介した。その際、Zが、馬術クラブの計画図を見せながら計画を説明したところ、被告人Aは、「なかなか良いアイデアじゃないですか。これなら市としてもバックアップできますよ。許認可についても全面的にお約束させていただきます。」などと述べた。また、Zは、Yから、雨情の里ゴルフ倶楽部建設予定地の土砂を火力発電所建設を計画している東京電力が買い取るかどうかを確認するよう指示されていたことから、これを被告人Aに尋ねたところ、被告人Aは、「火力発電所ができる話は間違いないし、雨情の里ゴルフ倶楽部の土地も土砂を取る予定地の三つのうちの一つになっています。」などと言った。しかし、Yは、結局この話に乗らなかった。
(四) 次に、Cは、同年六月下旬ころ、知人を介して、住宅団地を計画していた株式会社国立情報企画(以下「国立情報企画」という。)の代表取締役であるA1に雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地の購入を持ちかけたところ、A1がこれに同意したので、同年七月二一日、A1を北茨城市役所の市長室に連れていき、被告人Aに紹介した。その席で、被告人Aは、「東京電力が火力発電所を建設するのは間違いない。そのためには大量の土砂が必要になる。」「雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地には住宅団地を造る予定です。市としても全面的に協力することは間違いありません。取付道路だって市の方で早期に造ります。」などと話し、また、「雨情の里ゴルフ倶楽部の予定地に住宅団地を造ることは市の計画図にも載せてある間違いない話なんですよ。限定一〇部しか作っていない図面ですが、よかったら送りましょう。」などと言い、実際に、その後、国立情報企画事務所宛に右図面が郵送された。
しかしながら、A1は、雨情の里ゴルフ倶楽部の地権者の同意書の一部が偽造されたものであることなどを知り、この話を断った。
(五) 被告人Aは、これらの事実について、その外形的事実は認めるものの、当公判廷において、「市長として一日に一〇ないし二〇の業者と会って陳情を受ける。太平工業や国立情報企画はその中の数回であり、格別太東興産のために便宜供与したわけではない。」旨供述する。
しかしながら、被告人Aは、国立情報企画のA1に対して市の内部資料である計画図を送付した点に端的に現われているように、Cから紹介を受けた者に対して好意的な対応をしていることは否定し得ないところである。
第六 被告人両名による収賄の共謀
一 被告人らの言動
1 被告人Aの言動
以上摘示したとおり、被告人Aは、(1)ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として北茨城市長選挙に当選したにもかかわらず、その後間もない平成三年二月二一日と同年三月二一日の二回、それぞれ相当長時間にわたって、ゴルフ場開発業者であった太東興産のCらと会談する機会をもっている。そして、(2)一回目の羽田空港における会談においては、C及びJらに対し、太東興産側から金員を受領していることを前提に、一年ないし二年後には、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認める旨述べ、二回目の太東興産事務所における会談においては、被告人Bが雨情の里ゴルフ倶楽部の開発に関連して被告人Aのために一億五〇〇〇万円をEから預かっている旨発言したのに対し、それを咎めたり、その趣旨を問い質したりしていないばかりか、雨情の里ゴルフ倶楽部の開発の許可を受けるためには、茨城県知事などにも働きかける必要があるが、それに協力する旨述べたり、県戊田自動車学校が所有する十王町の土地を時価よりも高額で買い取るように持ちかけるなどしている。さらに、(3)被告人Aは、雨情の里ゴルフ倶楽部の事前協議申出書に対し積極意見を付さなかったものの、平成三年三月一九日に右申出書が提出された際、書類の不備があったにもかかわらず、担当職員に対しそれを受け付けるように指示し、また、茨城県知事に対する調整意見書においても、将来的には雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を認める余地がある旨の記載をしており、調整意見書に消極意見を書いた後にも、Cらと複数回にわたり会談をもって事情を説明するなど密接な関係を保っている。そして、(4)この間、平成四年八月に太東興産側から二億円の返還請求を受けた際にも、Jに対し、「あんなことをしても何にも得にも損にもならないよ。」などと述べるにとどまり、太東興産側から金員を受け取っていることを否定する言動をしていない。また、(5)Cが雨情の里ゴルフ倶楽部の開発を断念した後には、雨情の里ゴルフ倶楽部開発予定地の売却等について種々の便宜を与えるなどしている。
このように、被告人Aは、本件収賄についての共謀が成立していたことを前提としない限り、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として当選した市長としては、理解不能の言動をしている。
2 被告人Bの言動
以上摘示したとおり、被告人Bは、まず、(1)平成二年一二月下旬ころ、ホテル「天地閣」ロビーにおいてDらと会談した際、Dに対し、「私がしっかり市長と密接に相談して取り仕切って行くから安心しなさい。」などと、被告人Aに対して本件収賄の話を取り次ぐ旨約束した。(2)その後、被告人Bは、二回にわたり太東興産側から合計一億五〇〇〇万円を受領した上、金員が被告人Aに渡ったことの確認を求められると、「ちゃんとしてあるよ。」などと述べたほか、領収書に代わるものとして被告人Aと会談する機会を設け、金員のことは被告人Aも了知していることを太東興産側に確認させている。そして、(3)前記太東興産事務所における会談においては、被告人Aの面前において、Eから被告人Aのために一億五〇〇〇万円を預かっていることについて自ら発言してこれを認めている。また、(4)事前協議申出書が不受理となった後も、善後策について、被告人Aと太東興産側やEらが会談する場に同席するなどした。
このように、被告人Bも、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しを公約として当選した被告人Aの支援者としては、Cらから賄賂を受け取るについて被告人Aの了承がなければ、およそ考えられない言動をしている。
3 Eの言動
先に第二の三で摘示したとおり、Eは、平成二年一二月初旬ころ、Qを通じて、太東興産側から、「幾ら金を積めばゴルフ場ができるように市長を動かすことができるか。」と尋ねられ、「話ができるかどうか分からないが、市長側に聞いてみる。」と答えた後、同月中旬ころ、Qに対し、「市長に協力してもらえそうだ。」などと言い、その後、市長の謝礼として二億円、仲介料として二億円とするが、太東興産側がこの条件を了解できるかどうか聞くように指示している。
このように、Eは、平成二年一二月中旬ころから、被告人Aらと賄賂額などについて折衝し、その了承を受けたことを前提にした発言をしている。
二 被告人Bの自白
1 被告人Bは、検察官調書において、概略次のように供述している。
平成二年一二月ころ、Eから呼び出しを受け、同人から、「ちょっと人に会って話を聞いてもらいたいんだがな。もし、受けてくれるなら金になるぞ。」などと、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社が北茨城市でゴルフ場の建設を計画しており、茨城県知事に対して意見書を提出する権限をもっている被告人Aに対し、これを認める見返りとして億単位の金を出すと言っているので、その旨、被告人Aに取り次いで欲しい旨言われた。そこで、被告人A方に電話を入れ、その旨伝えたところ、被告人Aは、「ゴルフ場は一時凍結だから直ぐに認めるわけにはいかないぞ。」と言ったので、「直ぐじゃなくて、見直し後に認めてやるということでいいんだ。そういうことで話を聞いてやれば金が入るんだ。Eさんからの話であり、断るわけにもいかないし、相手のスポンサーは大物だという話だから付き合った方がいいんじゃないか。」などと言ったところ、被告人Aは、「そうか、しかし、住宅団地だけは入れてもらわなければ駄目だからな。金は、お前の方で処理しておいてくれ。」などと言ったように思う。
右供述は、金員の授受に先立ち、被告人両名の間で本件賄賂の授受につき共謀が存在したことを認める内容のものになっている。
2 被告人両名の弁護人は、「検察官による取調べは、被告人Bが頚椎損傷により長期入院中に行われたものであり、その取調べ状況及び供述内容からして、被告人Bの捜査段階における供述は信用できない。」旨主張する。
しかしながら、《証拠略》によれば、(1)被告人Bの取調べは、東京地方検察庁検事B1(以下「B1検事」という。)が、平成七年一月一七日から同月一九日まで、同年二月六日から同月一〇日まで、同月二三日から同月二五日まで、同年三月二日から同月二〇日ころまで行ったこと、(2)B1検事は、事前に検察事務官等を通じて被告人Bに対して取調べに応じるかどうか打診し、被告人Bから同病院において取調べを受ける旨の承諾を得たほか、同病院からもその旨の許可を受けていること、(3)取調べ時間は、本人の希望により、平成七年一月一七日から同月一九日までが午後五時三〇分から午後八時ないし八時三〇分ころまで、同年二月六日から同月一〇日まで及び同月二三日から同月二五日までが基本的には午後五時三〇分から午後八時三〇分までで、中に午後一時から午後四時までの間に一、二時間調べた日があり、同年三月二日から同月二〇日ころまでが午後一時三〇分ころから午後四時ないし五時までの間に一、二時間、夕食後午後八時ないし九時までであったこと、(4)B1検事は、取調べに際し、毎回被告人Bに、具合が悪くなったら申し出るように言い、実際、その申し出によって一回取調べを途中で終了したことがあること、(5)その他には、被告人Bに、取調べを嫌がったり、取調べを止めて欲しいといった言動はなかったこと、(6)B1検事は、平成七年三月に被告人Bに対する逮捕状の発付を受けていたが、同人の健康状態にかんがみ、その執行をせずにおり、その旨を被告人Bの弁護人であるC1弁護士(以下「C1弁護人」という。)にも話して取調べに対する協力を求め、その了解を得ていること、(7)B1検事は、C1弁護人の希望に基づき、平成七年二月二三日ころの取調べに同弁護人を立ち会わせていること、(8)B1検事は、調書の作成に当たり、重要な事実関係に関する部分については手書き調書とし、被告人Bから訂正の申立てがあると、改めて書き直していること、(9)B1検事は、被告人Bの供述のうち、他の関係者の供述と齟齬するなど疑問がある部分については問答式を採用し、被告人Bの弁解が明確となるように録取していること、(10)D1に返済した以外の五〇〇〇万円の使途については、供述を拒んだ内容になっていること、(11)取調べの中で、B1検事が脅迫や利益誘導をした証跡はないことが認められる。
以上に照らせば、被告人Bの捜査段階における供述には十分任意性が認められる。
そこで、被告人Bの右自白の信用性について検討する。被告人Bの前記検察官調書及び証人B1のAB第二三回公判供述によれば、B1検事は、同調書を作成するに当たり、供述の確度に応じて調書上の表現を区別しており、同調書上には、格別の留保なしに断言された記述、「…ように思います。」との記述、「断言はできませんが…ように思います。」との記述など、種々の表現が存在すること、同調書上の(1)「断言はできませんがこの時金額の点もAに言ったように思います。」との部分及び(2)「金はお前の方で処理しておいてくれなどと言ったように思います。」との部分については、当初は断言するような表現で記述されていたところ、被告人Bから「思います」という語尾に変えてほしいなどと訂正の申立てがあったため、これを容れて書き直した結果、現在の表現に改められたこと、同じく訂正申立てがあった部分であっても、右の両部分を対比すると、(2)の部分は、(1)の部分よりも、相対的に供述の確度が高い表現のものとして調書が完成されていることが認められる。また、前記1で摘示した同調書の内容は、Cなど他の関係者の供述や前記したカセットテープの内容などとも整合しているものである。
これらの事情に照らせば、前記1で摘示した同調書の内容は、大筋において信用性が高いものと考えられる。
三 小括
以上の諸事情を総合すれば、平成二年一二月下旬に被告人BがEから被告人Aへの取り次ぎの依頼を受けた後、第一回目の現金の授受がなされるまでの間に、被告人Aと被告人Bの間で、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社のCらから賄賂を収受することについての共謀が成立したものと認めるに十分である。本件においては、証拠上の制約から、謀議の具体的な日時、場所、方法、その具体的な内容については確定することはできないが、これによって被告人両名の間の共謀の存在についてその認定が妨げられるものではない。
第七 本件賄賂の分配、使途
一 平成二年一二月の賄賂五〇〇〇万円
1 被告人Bは、証人Bに対する当裁判所の証人尋問調書において、「平成三年一月中旬又は下旬ころ、I1が、選挙違反者が多く出て金がかかるので、自動車学校の土地を早く売って欲しいなどと言って泣きついてきた。そこで、何とかするから取りに来いと言って、高萩市農協の駐車場で待っているように伝えた。そして、同日の午後四時三〇分ころ、暗くなったころ、同所で、Eから預かっていた五〇〇〇万円を紙袋ごと渡した。」旨供述する。
これに対し、I1は、一貫して、右五〇〇〇万円を被告人Bから受け取ったことを否定している。
2 ところで、《証拠略》によれば、被告人Aは、平成三年一月二〇日ころに二六〇〇万円、同年四月に約一八四六万円、同年六月に約四四〇万円、同年九月上旬ころに二六〇〇万円、同月二四日に二七〇〇万円、同年一〇月二五日に二〇〇〇万円、同年一一月二八日及び平成四年一二月三日にそれぞれ一億円など、多額の金員を支出し、また、平成三年六月一七日に、被告人Aの資金の一部を管理していたH1が五〇〇〇万円を定期預金していること、他方、被告人Aは、選挙資金として用意した金員のうち、その多くを費消し、被告人Aの手元に残った金員はさほど多くなく、また、I1が保管していた選挙資金一億九〇〇〇万円も、その多くを費消し、選挙終了時点の残金はさほど多くなく、それも平成三年八月ころまでに被告人Aの飲食費や交際費に充てて費消したこと、被告人Aが得た当選祝い金については、平成五年一一月ころ、E1からの借金の返済の一部に充てられており、その使途が明らかとなっていること、前記支出金額は、被告人Aの市長報酬や自動車学校等からの報酬によっては賄いきれない額であること等の事実が認められ、以上によれば、選挙後、平成三年一月から平成四年一二月にかけて、被告人Aにはいずれから取得したか明らかでない原資不明の多額の金員があることがうかがわれる。
3 右2のような事情に加え、I1は、長年にわたって被告人Aが経営する自動車学校に勤務しており、被告人Aが市議会議員となった後は、実質的な秘書として被告人Aの選挙資金等の管理をしているなど、被告人Aと密接な関係にあるものであって、週刊誌に本件に関する記事が掲載された後、被告人Aとの間で資金の動きについて口裏を合わせる工作をしていることなど、関係証拠上明らかな事情にかんがみれば、I1の供述よりも被告人Bの公判段階の供述のほうが信用性が高いとの見方にも相応の根拠はある。
4 しかしながら、被告人Bは、右五〇〇〇万円の使途について、捜査段階においては、「今のところ話したくない。」旨供述していたものであり、供述は一貫していない。また、被告人Bの公判段階の供述には、I1が必要な金額を特定しなかったとする点や、返済時期や条件について何も決めなかったとする点など、その内容にやや不自然ともみられる点がある。さらに、前記のように、被告人Bは、平成三年三月二一日の太東興産事務所における会談において、「私がその市長にと預かっているのは一億五〇〇〇万です。」などと、Eから受け取った現金については、被告人Aにはいまだ交付していない旨の発言をしている。そして、被告人Bの公判供述を除けば右供述を裏付ける直接証拠はない。
以上によれば、被告人Bの公判供述に依拠して、右五〇〇〇万円が右供述どおりI1に対して交付されたと認定することはできないものといわざるを得ない。 二 平成三年二月の賄賂一億円
1 平成二年七月三一日の借入金額
(一) 被告人Bは、公判段階において、「平成三年二月二二日にEから五〇〇〇万円を受領し、同日これをG1に返済した。これは、平成二年七月三一日に被告人Aが京葉緑地との間の十王町の土地の売買契約を解約するに際し、被告人Aから返還資金が不足しているとして調達を依頼され、G1から借りてI1に渡した五〇〇〇万円の返済である。」旨供述する。これに対し、被告人A及びI1は、当公判廷において、「平成二年七月三一日に被告人Bから借り受けたのは二五〇〇万円である。」旨供述する。平成二年七月三一日に借り入れた金額及び被告人BがI1に貸し付けた金額については、本件賄賂の使途に関連するので、まず、この点について検討する。
(二) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
被告人Aは、平成二年一一月施行の北茨城市長選挙のための選挙資金を得ようと考え、県戊田自動車学校が所有していた十王町の土地を売却することとし、同年五月ころ、京葉緑地株式会社(以下「京葉緑地」という。)との間で代金四億円とする売買契約を締結し、同年六月までに手付金一億円及び整地代金二一〇〇万円の支払いを受け、うち一億円をH1方に保管させていた。
ところが、同年七月末ころ、被告人Bが右の取引に異論を唱えたため、被告人Aは、これを受けて右契約を解約することとしたが、京葉緑地から受け取った一億円のうち、その一部は既に選挙資金として費消していたことから、その旨を被告人Bに話した。すると、被告人Bは、不足分は自分が調達する旨約した。
被告人Bは、知人である常北開発株式会社(以下「常北開発」という。)代表取締役のD1に対し、同月二九日、「三一日までにどうしても五〇〇〇万円が必要だ。何とか都合してもらえないか。」などと依頼した。そこで、D1は、翌三〇日に、常北開発の余裕資金五〇〇万円を除いた四五〇〇万円について取引銀行の常陽銀行高萩支店に借入れを申し込んだが、同支店からそんなに急に融資はできない旨言われたので、これを被告人Bに伝えた。すると、被告人Bは、「どうしても必要だから、何とか借りてくれないか。」などと言った。また、被告人Bは、D1の右返答を受け、D1とは別に、北茨城市議会議員のF1にも融資を依頼したところ、F1は、一〇五〇万円をD1の兄G1の同支店口座に振り込んだ。被告人Bの再度の依頼を受けて、D1は、同支店になお強く融資を依頼した結果、翌三一日に借入れが可能となった。そこで、同日、被告人BとI1は、同支店に行き、被告人Bが一人で同支店に入っていき、D1が借入金四五〇〇万円と常北開発の普通預金五〇〇万円の合計五〇〇〇万円の払戻手続をしてこれを受領し、同銀行のロビーで被告人Bに渡した。なお、F1が振り込んだ一〇五〇万円は、D1が預かり保管した。被告人Bは、約一時間後、駐車場に待機していたI1に右五〇〇〇万円又はそのうちの二五〇〇万円を銀行の袋に入れて渡した。この後、I1は、京葉緑地に赴いて、被告人Aが用意した金員と合わせて一億円を交付した。
(三) 被告人Bは、「D1から受け取った五〇〇〇万円は、平成二年七月三一日の夜、自宅を訪れたI1に対して、米袋に入れて渡した。」旨供述する。確かに、被告人Bは、平成二年七月三一日に五〇〇〇万円の金策をD1に執拗に依頼し、D1からそれが難しい旨聞くや、F1にも依頼するなどしており、被告人Bが同日までに五〇〇〇万円をどうしても作らなければならなかった事情があったと考えられるところ、被告人Bにとって、同日までに自己の用途のために二五〇〇万円を作らなければならなかった事情はうかがえないので、被告人Bは、被告人A又はI1から、解約するためには五〇〇〇万円が必要である旨告げられていたのではないかと考えられる。仮に被告人Bが被告人Aから二五〇〇万円の調達を求められ、この機会に自己の用途に利用する分を上乗せしてD1から融資を受けようとしたものであるとすれば、D1に対し重ねて強く五〇〇〇万円の融資を求めたのは不自然ともいえる。
しかしながら、他方、この点に関するI1の公判供述は、それ自体、詳細かつ具体的であるところ、京葉緑地に整地代金二一〇〇万円を返還したのは、平成二年七月三一日ではなく、同年九月三日であることは証拠上明らかであるから、同年七月三一日に京葉緑地に返還した金額は一億円ということになり、そして、そのうち七五〇〇万円は被告人Aが準備していたことは証拠上明らかであるから、このとき必要なのは二五〇〇万円であるという客観的な状況にも符合するものであり、その意味でI1の公判供述は信用性が高いともいえる。そして、D1の公判供述は、概ね被告人Bの供述に沿ったものであるが、その内容は、密接な関係にある被告人Bに迎合する様子が明らかであり、D1が捜査段階においてこれと異なる供述をしていたことに照らしても、信用性に乏しいものといわざるを得ない。
他方、平成二年七月三一日に被告人BがI1に交付したのは五〇〇〇万円であり、この時点でI1は被告人Aが調達した七五〇〇万円と合わせ合計一億二五〇〇万円の資金を得ており、同日一億円を京葉緑地に支払い、同年九月三日にその残額の中から二一〇〇万円を京葉緑地に送金したとの可能性は、本件証拠上、必ずしも排除し得ない状況にある。
結局、平成二年七月三一日に被告人BがI1に交付して被告人Aに調達した金額は、五〇〇〇万円又は二五〇〇万円のいずれかであったとみるほかはない。 2 D1に対する返済
(一) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
平成二年九月二〇日、被告人Bは、D1方に五〇〇〇万円を持参し、同年七月三一日の借入金の返済としてこれを交付した。
ところが、同年一一月ころ、被告人Bから、再び金員の貸付けを依頼されたので、D1は、同月九日、常陽銀行高萩支店から四〇〇〇万円を借り入れ、これに前記のようにF1が振り込んだ一〇五〇万円のうちの一〇〇〇万円と合わせ、合計五〇〇〇万円を被告人B方に持参し、同人に貸し付けた。
平成三年二月二二日、D1は、同人方で、被告人Bから右五〇〇〇万円の返済を受けた。そして、D1は、同日、これを常陽銀行高萩支店に持参し、このうち四〇〇〇万円を借入金の返済に充て、また、残り一〇〇〇万円をF1に返済した。
(二) 検察官は、平成三年二月二二日にD1に返済された五〇〇〇万円は、被告人Bが被告人Aからの依頼によって平成二年七月三一日にD1から借りて県戊田自動車学校に貸し付けた五〇〇〇万円についての弁済に充てられたものであるから、実質的に県戊田自動車学校の債務の返済、すなわち、被告人Aの利益に費消されたと主張する。
しかしながら、前記のとおり、平成二年七月三一日に被告人Bが県戊田自動車学校に貸し付けた金額は二五〇〇万円であった可能性があるばかりでなく、同日に被告人BがD1から借り受けた五〇〇〇万円は、同年九月二〇日にいったん返済されていることが認められるところ、関係各証拠によっても、同年一一月九日のD1から被告人Bに対する五〇〇〇万円の貸付けが実質上被告人Aに対するものであること、平成三年二月二二日に被告人BがD1に五〇〇〇万円を返済する際に被告人Aの了解を得ていること等の点については、証明がなされていないといわざるを得ない。したがって、この五〇〇〇万円が検察官主張のように被告人Aのために費消されたと認定することはできない。
3 その余の五〇〇〇万円
(一) 検察官は、この点について、「被告人BがEから一億円を受け取った平成三年二月中旬以降の被告人Aの支出状況を見ると、同年四月二六日に二〇〇〇万円、同年六月六日に五五〇万円の合計二五五〇万円の原資不明金が被告人Aの指示でI1によりH1方から持ち出されているほか、同月一七日、H1が被告人Aから預かった原資不明の五〇〇〇万円を定期預金していること、同年一〇月下旬に二回にわたって合計二〇〇〇万円の原資不明金が、また、同年一一月下旬に一億円の原資不明金が、それぞれH1方から持ち出されていることなどから、被告人Aが、被告人Bから、直接、あるいはI1を介して受領した上、これをH1に預け、その中から随時I1に指示してH1方から持ち出し、原資不明の支出に充てたことが強く推察される。」旨主張する。
(二) 前記一2認定のとおり、検察官指摘のように、被告人Aに原資不明金が存在することが認められ、これによると、この五〇〇〇万円について、被告人Aが被告人Bから、直接、あるいはI1を介して受領した上で、これをH1に預けていた疑いは認められる。
しかしながら、右事実を裏付ける客観的な証拠はなく、また、関係証拠上、被告人Aは経営する自動車学校から仮払金名目で多額の金員を借り受けていたことが認められることなどの事情にかんがみると、検察官主張のとおりの使途を認定することはできないといわざるを得ない。
三 小括
以上検討したように、太東興産側からEを通じて被告人Bに渡された平成二年一二月の賄賂五〇〇〇万円及び平成三年二月の賄賂一億円の合計一億五〇〇〇万円は、被告人両名に帰属したことが明らかであるが、被告人両名間でどのように分配されたか、現時点でいずれの被告人がどれほどの額を保有しているか、これまでにいずれの被告人がどれほどの額をどのような用途に費消したかは、本件証拠上、不明とせざるを得ないところである。このように、収賄の共同正犯者が共同して収受した賄賂について、共同正犯者間におけるその分配、保有及び費消の状況が不明である場合には、賄賂の総額を均分した金額を各自から追徴すべきものと解されるから、賄賂金の総額一億五〇〇〇万円を二等分し、被告人A及び被告人Bから、それぞれ七五〇〇万円ずつを追徴することとなる。
ところで、被告人Aの弁護人は、被告人両名の間では被告人BがEから受け取った金員の授受はなく、被告人Bがこれを被告人Aのために費消した事実もないとし、これをもって、被告人Aは無罪である旨主張する。しかしながら、本件においては、共同正犯者である被告人BがEから現金を受領した段階において被告人両名が共同してこれを収受したとの評価を免れないから、右の主張は採用し得ない。
(法令の適用)
被告人Aについて
罰条 包括して平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下「改正前の刑法」という。)六〇条、一九七条一項前段(本件における二回の現金供与は、当初から同一の趣旨のもとに、それぞれ手付金、中間金として授受されることが予定されていたものであること等の事情にかんがみ、包括一罪と認める。)
未決勾留日数の算入 改正前の刑法二一条
追徴 改正前の刑法一九七条の五後段
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
被告人Bについて
罰条 包括して改正前の刑法六五条一項、六〇条、一九七条一項前段
刑の執行猶予 改正前の刑法二五条一項
追徴 改正前の刑法一九七条の五後段
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
(量刑の理由)
一 本件は、茨城県北茨城市長であった被告人Aとその支援者であった被告人Bが、共謀の上、同市内においてゴルフ場開発事業を計画していた雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社の代表者Cらから、同社が茨城県知事宛に提出する事前協議申出書の取扱い等に便宜有利な取り計らいを受けたいとの趣旨で供与されるものであることを知りながら、二回にわたって、現金合計一億五〇〇〇万円の供与を受けてこれを収受したという事案である。
被告人Aは、平成二年一一月一八日に施行された茨城県北茨城市長選挙にゴルフ場開発の一時凍結全面見直しなどを公約に立候補して当選したが、多額の選挙資金を支出していたところ、被告人Bを通じて、雨情の里ゴルフ倶楽部株式会社がゴルフ場開発事業に関連して多額の賄賂を供与する旨を聞き、右公約との兼ね合いから、茨城県に対するゴルフ場開発に関する事前協議申出書の提出期限である平成三年三月三一日までにこれを認めるのは難しいが、その後に、土地利用計画を見直し、あるいは、Cらに対し住宅団地を含めたゴルフ場開発を勧めるなどして、右公約との整合性を保たせた上、いずれはその開発を認めるなどの便宜を図ることにし、被告人両名共謀の上、Cらから、暴力団組長のEらを介し、当初五〇〇〇万円、次いで一億円の賄賂を収受したものである。
被告人らは、行為の違法性を十分認識していながら、利欲的動機から、あえて本件犯行に及んだものと認められる。収賄額はこの種事犯の中でも特に多額である。
被告人Aは、市長として市民の負託を受け、公正かつ廉潔にその職務を遂行すべき立場にありながら、しかも、平成二年一一月の市長選挙において、ゴルフ場開発を推進していた現職の市長に対抗し、ゴルフ場開発の一時凍結全面見直しなどを公約に当選を果たしたばかりであったにもかかわらず、ゴルフ場開発業者と癒着して本件犯行に及んだものであって、市民の市政に対する信頼に背くこと著しいものがある。
また、被告人Bは、知人の暴力団組長から本件収賄の話を持ち込まれるや、これを被告人Aに伝えて本件犯行の契機を作ったばかりか、市長に大きな影響力を有する支援者として、市長に代わりたびたび贈賄側と接触するなどした上、本件賄賂を贈賄側から受領したものであり、その後も再三にわたり市長とともに贈賄側と事務処理について協議を重ねたものであって、本件犯行において果たした役割は大きい。
しかるに、被告人らは、いずれも当公判廷において本件犯行を否認し、不合理な弁解を続けており、反省する様子は全くみられない。
以上によれば、被告人らの刑事責任は、重いといわなければならない。
二 他方、被告人Aについては、本件賄賂を収受したのは被告人Bからの働きかけに基づくものであって、これを要求して取り立てたものではないこと、本件容疑で検挙された結果、厳しい社会的非難を浴び、市長の地位も辞するのやむなきに至っていることなどの事情が認められる。しかしながら、先に摘示した本件犯行の罪質、態様及び改悛の情がない点等に照らせば、実刑判決は免れないところと認められる。
また、被告人Bについては、自分自身は公務員の身分を有するものではないこと、本件は、被告人Aへの取り次ぎを依頼されて関与するに至ったものであり、被告人Bが本件犯行を主導していたとは評価できないことなどの事情が認められる。これらの事情を考慮し、同被告人については、刑の執行を猶予することとするが、執行猶予の期間は、その犯情に即したものにする必要がある。
三 そこで、以上の諸事情を総合考慮し、主文の刑を定めた次第である(求刑被告人Aにつき懲役四年、追徴一億五〇〇〇万円、被告人Bにつき懲役三年)。 よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永井敏雄 裁判官 平塚浩司 裁判官 長瀬敬昭)